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熊本家庭裁判所八代支部 昭和37年(家)181号 審判 1963年6月03日

申立人 阿部かつ子(仮名)

相手方 山根幸男(仮名)

主文

相手方は申立人に対し、財産分与として金二五〇、〇〇〇円を支払え。ただしこれが支払については内金一〇〇、〇〇〇円を本審判確定の日から一〇〇日以内に、残金一五〇、〇〇〇円を二〇〇日以内に分割して支払うこと。

本件審判に要した費用はこれを二分し、その一を申立人、その一を相手方の負担とする。

理由

一、申立の要旨

申立人は、昭和二五年五月一〇日相手方と婚姻し、申立人は学校の教員をなし、相手方は興国人絹株式会社八代工場に勤務していた。ところが相手方は申立人の職業婦人としての立場を理解せず、かつ性格の相違より事々に夫婦の意見が対立して円満を欠ぎ、昭和三六年に至り共同生活を継続することができないようになつた。そして同年九月二五日申立人は相手方と話合つた結果、協議離婚することになり、その旨の届出を了した。その際申立人は相手方に財産分与を請求したが協議が成立しなかつた。

離婚当時申立人の給料は月一五、〇〇〇円(手取額)程度であり、相手方の給料は月二七、〇〇〇円(手取額)であつて、婚姻当初は申立人も相手方も別に資産とてなかつたが、二年余の夫婦生活のうち両者の協力により或る程度の貯蓄もでき、日常生活に必要な相当の動産も購入した。その他相手方は昭和二六年度において八代市長町○○番地の一に木造瓦葺平屋建住家一棟建坪二五坪七合五勺を建築して自己名義に保存登記を経由したが、その敷地こそ相手方が独力で購入したものであつても、右建物の建築費の約八割は申立人のために申立人の父阿部清が負担支出したのである。右建物の価格は現在においては金一、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。

以上のような次第であるから、相手方は申立人に対して財産分与として相当額の金員を支払うよう本申立に及んだ。

二、判断

(1)  本件記録編綴の各戸籍謄本によると、申立人は相手方と昭和二五年五月一〇日婚姻したが、昭和三六年九月二五日協議離婚をしたことは明らかである。

(2)  よつて相手方が申立人に対し右離婚にともなう財産分与をする要があるかどうかを判断するに一件記録および申立人、相手方の審尋の結果を綜合すると、右離婚に至つた経緯は次のとおりである。

申立人と相手方は昭和二五年四月申立外守田義一、同永井実男の媒酌により結婚式を挙げ、申立人の義父申立外阿部清方で夫婦生活を初めたが、当時申立人は熊本女子大学一年に在学しており、相手方は興国人絹パルプ株式会社八代工場に勤務していた。相手方は昭和二五年一〇月八代市長町○○番の一宅地五八坪、同町九七番の八宅地四二坪二合一勺を代金約一〇〇、〇〇〇円位にて購入し、昭和二六年四月住宅金融公庫より金二三五、〇〇〇円の融資をうけ、請負業を営んでいた右阿部清の施行により右宅地上に木造瓦葺平家建住家一棟建坪二五坪七合五勺を建築して夫婦はこれに移り居住した。申立人は昭和二八年三月学校を卒業し、相手方の希望もあつて同年七月八代郡日奈久中学に講師として就職し、昭和二九年四月より教員となつて、その後中学教師として勤務し夫婦共稼により生計を維持向上させることになつた。そして申立人はその給料の過半は婚姻費用に提出され、そのうちより建物建築費の返還にも充られた。ところで申立人は明朗勝気にして我儘であり、相手方は寡黙にしてかたくなであり、かつ特に金銭に細かく、性格の不一致のため当初より夫婦間はしつくり行つていなかつたところ、昭和二九年八月より相手方の母ユキが同居することになり、申立人と右ユキとも円満を欠ぎ、引いては夫婦間も漸次不和を見るに至つた。そして申立人は昭和三〇年一〇月肺結核に罹り、昭和三二年一〇月まで教員組合の日奈久療養所に入所し、恢復後復職して八代第二中学に勤務していたが、昭和三三年頃申立人の養父が事業に失敗し、保証人となつていた相手方が肥後相互銀行に対する借金五〇〇、〇〇〇円を負担し、毎月そのため支出を余儀なくされるようになり、これにつき何かと相手方や母ユキが申立人に嫌味を言うので、かねて自分の身内にだけ援助するとして不満をもつていた申立人は相手方と喧嘩口論をなし、その挙句相手方は申立人に手荒な行動に及び、申立人はそのため家出することも数回に至つた。かくして家庭生活は暗くなり夫婦間の溝もいよいよ深まり、そのためか申立人は昭和三五年頃から同僚の教師平山某と親しく交際を初め、そのアパートを屡々訪れ夜間まで帰らないこともあつた。そのため上司より注意をうけたが、これを知つた相手方は夫としての面目と嫉妬より申立人を詰問し、さらに折檻してこれに暴行を加えるようになつた。遂に昭和三六年八月夫婦喧嘩のはて申立人が家出して別居生活に入り、同年九月二五日に協議離婚となつたものである。その後相手方は昭和三七年五月現在の妻鶴子と再婚しその間に女児を得たが、申立人は教員生活を続けるうち肺結核を再発させ現在はこれが療養のため休職している現状である。

以上の経緯に基いて考えて見るに、申立人と相手方の離婚関係を破綻させた所以のものは遠くはその性格の相違に原因を求めうるであろう。しかしながら夫婦たるものは至らぬ人間同志の結合にして終生に及ばねばならぬものであるから、お互に愛情をそだて責任と忍耐をもつて相扶け相協力してそれぞれ真の失婦融和を作つて行くべき義務がある。申立人ら夫婦は性格の相違を乗り越えた夫婦の愛情を形成すべき努力に欠けるところがあつたと認められ、そのほか嫁姑の問題、金銭問題が加わつていたことは容易に窺知できるが、これらの事にあたつてもお互に感情と妥算に走つて夫婦協力義務を十分に尽したとはいえない。さらに申立人は夫婦間の愛情が薄れて行く淋しさのためとはいえ、社会常識に悖るような異性との交際を敢えて継続し、夫婦の破局を早からしめたことは明白であり、そのため相手方が申立人に暴力を加えたことは許されぬところであるが、この点申立人の落度は少くないところである。

しかし、離婚にともなう財産分与は、離婚後においても夫婦協同の家庭生活中夫または妻として有していた家庭的社会的地位をできるだけ保障し、婚姻中の財産は直接間接に夫婦の協力によつて取得蓄成されたものであるから、その寄与協力に報い離婚後経済的不安を生ずる者に生活を保障する制度であり、従来の愛情を越えて夫婦協力による財産の清算にも類するものと考える。したがつて離婚についての夫婦の過失、責任は分与額算定に考慮されるのは勿論であるが、そのために分与請求権に消長を及ぼさないと解せられるから、申立人に前記のごとき落度があつたといえ、いまだその財産分与請求権を否定することはできない。そして前記の婚姻から破綻に至つた経過、後記相手方の離婚当時の財産が婚姻中における申立人の協力によるものであること、および申立人は貯蓄資産とてなく、教員であるが現在は肺結核で療養生活中であることなど併せ考えると、相手方は申立人に対し離婚にともなう財産分与として、その資産、収入の許す限り相当額を分与するのが相当である。

(3)  進んで分与の方法、額について判断する。先ず相手方の財産および収入について検討するに、一件記録によると相手方は離婚当時主な財産として、八代市長町○○番の一宅地五八坪同町○○番の八宅地四二坪二合一勺およびその地上住宅木造瓦葺平家建一棟二五坪七合五勺附属建物小屋二坪七勺を所有し、そのほか住支信託銀行に対する貸付信託金五五、三五四円、志村化工株式会社一〇〇株(金五、〇〇〇円)を有し、右不動産の価格は土地が金八〇〇、〇〇〇円、建物が金九五一、〇〇〇である。また相手方は興国人絹パルプ株式会社八代工場の業務課原料係長として勤務しており昭和三六年度金五三九、四二四円の収入があり、今後漸次栄進するとともに収入も増加し年々相当額の収入を挙げ得ることが窺われる。そして右宅地は相手方が独力で取得したものであるが、建物は当時請負業を営んでいた申立人の養父阿部清が相当援助して建築されたものであり、住宅金融公庫よりの借入金二三五、〇〇〇円の割賦弁済について申立人の教員として得た給料よりも支払われ、申立人の協力貢献があつたものである。他方申立人は離婚後も教員として勤務し、月給二七、三〇〇円を得て生計を立てているが、現在肺結核を再発させ療養している有様である。

以上認定の諸事情および本件審判にあらわれた諸般の事情を斟酌すると、本件財産分与の額は現金二五〇、〇〇〇円をもつて相当と判定する。しかし相手方の現在の財産、収入状況より考えるに、一時に右金員を支払うことは困難であると思料されるから、本審判確定の日から一〇〇日以内に内金一〇〇、〇〇〇円、二〇〇日以内に残金一五〇、〇〇〇円を分割支払うものとする。

よつて、家事審判規則第一六条、家事審判法第七条、非訟事件手続法第二六条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 倉増三雄)

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